2008年7月30日水曜日

第二章 スワン

第二章 スワン 

音楽の中に現われる鳥の中では、ナイチンゲール、カッコウに次いで、スワンが多いような気がしますがはっきりしたことは分りません。スワンは成鳥は白色ですが、若鳥はすすけた色をしています。またオーストラリアにはブラック・スワンと言う黒いスワンもいます。ヴィラ=ロボスには「黒い白鳥の歌」と言う曲がありますが、黒いスワンを白鳥と呼ぶのには抵抗がありますので、ここでは総称としてスワンと呼ぶことにいたします。チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」の中にも黒いスワンが登場します。その他には、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」、サン=サーンスの「白鳥」のように白鳥を題名に据えた作品、それから、題名には出て来ないまでも、例えばワーグナーの「ローエングリン」のように、白鳥が重要な役割をはたすものとかもあって、スワンは音楽の中で大活躍しています。

スワンは人を恐れず、里近くに棲息する鳥で、その優雅な姿態は古くから人々に愛されて来ていますが、イギリスのブライトンにあるロイヤル・パヴィリオンの展示場には、かつては白鳥を食用として捕獲した事実を示すような展示品もあって、白鳥にとっては人間が必ずしも何時もフレンドリーな存在であったわけではなかったことを知らされ、複雑な気持ちにさせられます。ヒンデミットには「白鳥の肉を焼く男」と言う恐ろしい題名の曲もあります。

ヨーロッパでは、コブハクチョウ(Cygnus olor)が最も広範囲に分布していますが、近年はオオハクチョウ(Cygnus cygnus)の棲息範囲が南下していて、その数も増加の傾向にあります。日本に飛来するのはオオハクチョウとコハクチョウ(Cygnus columbianus)で、冬鳥としてやって来ます。両目の間あたりがふくらんでいて、ちょっと怒ったような顔つきをしたコブハクチョウは渡りをしない鳥(注.「Birds of the World"」 DK Publishing, Inc.)で、日本に渡って来ることはありませんが、公園や動物園で飼われていたものが逃げて沼地や川に移って来るることはあります。一年中お掘りや公園の池などに浮かんでいるコブハクチョウは、水辺のアクセサリーとして飼われているもので、多くの場合、飛翔に必要な羽根の筋を切断され飛ぶことができないように加工されてしまっている白鳥たちです。彼らは最早野鳥ではありません。不憫なことです。 


チャイコフスキー「白鳥の湖」 

白鳥の湖といえば、知らぬ人は居ないくらい有名な古典バレエの傑作で、魔法の力で白鳥に変えられてしまっていたお姫さまが、王子さまの献身的な愛によって救われると言う童話が、明快な音楽にのって踊り語られる舞踏・音楽劇です。音楽は単純明瞭で、観客は音楽については何も悩む必要も無く、ひたすら舞台上に展開する舞踏の妙技を堪能することができます。音楽は、物語の構成要素ごとに綿密に比重配分がなされていて、挿入ダンスの部分には挿入ダンス向きの音楽を、劇が進行する部分には場面の展開にマッチした音楽をと言うような構成になっています。それが結果的に単純明快な音楽と言う印象につながっているのでしょう。 

バレエ音楽は、実際にその音楽にのって踊りが踊られる場合と、音楽だけが単独に演奏される場合(例えば組曲のような形で)とでは随分違ったものになるように思います。昔LPレコードが出始めた頃、ロジェ・デゾルミエールと言う指揮者がフランス国立管弦楽団を指揮して録音した、白鳥の湖の抜粋曲集と言うLPレコードがありました。それを聴いてからもう四十数年たってしまっているにもかかわらず、私はそのレコードの中で演奏されている、第二幕でオデット姫と王子がデュエットで踊る部分(パ・ダクシオン)のヴァイオリン・ソロの音を忘れることができません。その後さまざまな白鳥の湖を聴いて来ていますが、このデゾルミエール盤のようなソロには巡り合っていません。粘り付くような、音の尾が次の音にかぶさる位に長く引き伸ばされる、そんな感じのヴァイオリンでした。このヴァイオリンが踊りやすいのか踊りにくいのかは分りませんが、バレエの場合、微妙な調整は踊る側が音楽に合わせて行なうのでしょうか、それとも音楽を演奏する側が踊り手に合わせて行なうのでしょうか。一度専門家にうかがってみたい気もします。


サン=サーンス「白鳥」 

サン=サーンスの「白鳥」は、いろいろな動物が登場する「動物の謝肉祭」の中の一曲でチェロで演奏されます。「動物の謝肉祭」は「序奏と獅子王の行進曲」「雌鶏と雄鶏の群れ」「野生のろば」「亀」「象」「カンガルー」「水族館」「長耳の仮装人物」「森のカッコウ」「ピアニスト」「化石」「白鳥」「終結曲」の一四曲からなる組曲ですが、もともとは町の謝肉祭で余興として演奏するために作曲されたものだそうで、サン=サーンス自身が楽譜の出版を認めたのはその中の「白鳥」一曲だけでした。おそらく、この曲が真面目に作曲した唯一の曲だったのでしょう。堅ぶつのサン=サーンスは、冗談半分に他の作曲家の作品をカリカチュアライズしたようなものを、自分の作品として発表したくなかったのに違いありません。ちなみに、第四曲の「亀」は、、オッフェンバックの「天国と地獄」の目の回るようなフレンチカンカンのメロディを、超スローの亀の歩みのテンポにしただけですし、次の「象」は、ベルリオーズのファウストの劫罰の中の空気の精の踊りのメロディを、コントラバスに弾かせているだけです。あの図体の大きい重い象を、軽い軽い空気の精の踊りのメロディに乗せて歩かせると言うパロディです。「白鳥」の前に出てくる「化石」は、自分の「死の舞踏」やキラキラ星等の童謡のメロディに、グレゴリオ聖歌の旋律までが一緒になっていると言う奇想天外な組合せの曲です。この曲に「化石」と言う名前を付けることで、サン=サーンスは、今は新しい自分の曲も、すぐに「化石」同様の古くさい物になってしまうだろうと言おうとしていたのかも知れません。 

この「白鳥」は、「動物の謝肉祭」の全曲が演奏される時以外にも、単独でチェロ独奏のアンコール・ピースとして演奏されることが多い曲です。鳥に関係のあるチェロのアンコール・ピースとしては、他に、カタロニアの民謡をカザルスがチェロ独奏用に編曲した「鳥の歌」が有名です。 

スペインの生んだ偉大な音楽家、と言うよりは偉大なヒューマニスト、パブロ・カザルスは、彼自身の信条から祖国スペインのフランコ独裁政権を受け入れることを拒否し続け、フランコ政権を承認する国では絶対に演奏会を開かないと言う姿勢を貫き通していました。そのカザルスが、一九六一年十一月、フランコ政権承認国であったアメリカの大統領ジョン・F・ケネディーの招きに応じてホワイトハウスで演奏会を開きました。非公開とは言えそれは画期的な出来事でした。ケネディーはこの年の一月に新大統領として就任したばかりでしたが、カザルスは招待受諾を伝える手紙にこう書き記しました。 

「人間性が、今日ほど重大な状況に直面したことは、いまだかってありません。いまや、世界の平和と言うことが、全人類の祈願ともなっています。すべてのひとは、この最終目標達成のために最善をつくすと言うくわだてに参加する義務があります。それゆえに私は、閣下と個人的に親しくお会いできるこの機会を心待ちにしております。私が閣下ならびに、閣下のお友達の皆様方のために演奏するのでありましょう音楽は、アメリカ国民への私の深い感情と、自由世界の指導者としての閣下にたいする私たちすべての信頼の誠意を、かならずや象徴化してくれるものと確信しております。大統領閣下、どうか私の心からの尊敬と敬意をお受け下さい。」(注1)   

ヒューマニズムの指導者としてのケネディーに、ヒューマニストカザルスが信頼と誠意を示したいと希望して実現したこのホワイトハウス・コンサートでは、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲(作品四九)、クープランのチェロとピアノのための演奏会用小品が演奏され、「鳥の歌」で締めくくられました。この時カザルスと一緒に演奏したのは、ピアノのミエチスラフ・ホルショフスキー、ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーでした。それから約十年後の一九七一年、老カザルスは国連で再度「鳥の歌」を演奏しました。演奏に際し、各国の代表を前にカザルスはこう挨拶しています。 

『生まれ故郷の民謡をひかせてもらいます。鳥の歌と言う曲です。カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛びあがるとピース、ピースといって鳴くのです。』(注2) 

一九三五年にフランコ独裁政権が誕生して以来、カザルスは一度も祖国の土を踏んでいません。一九七三年十月に九六才で召されるまで、彼は二度と祖国スペインで演奏することはありませんでした。 


シベリウス「トゥオネラの白鳥」 

シベリウスは、祖国フィンランドに古くから伝わる叙事詩「カレワラ」をもとに七曲の交響詩を作曲しました。「トゥオネラの白鳥」はその中の一曲です。今日七曲全部が演奏されることはまれですが、「レミンカイネン組曲(作品 二二)」にまとめられた四曲は聴くことができます。何故か最近は「レミンカイネン組曲」と呼ばず、「レミンカイネンの四つの伝説曲」とか「カレワラによる四つの伝説」あるいは単に「四つの伝説」と呼ばれているようです。トゥオネラとは北欧神話の中の「死者の地」のことで、黄泉の国を流れる黒い川の上を、真白な白鳥が悲しげに歌いながら、ゆっくり流れてゆく様子が描かれています。白鳥のテーマはイングリッシュ・ホルン(コル・アングレ)で演奏されます。イングリッシュ・ホルンの独奏が伴う曲としては、他にドボルザークの九番の交響曲「新世界」がよく知られています。第二楽章でイングリッシュ・ホルンが奏でる「家路」のメロディの美しさは格別です。 

この「新世界」も昔はドヴォルザークの交響曲第五番と呼ばれていましたが、いつの間にか第九番と呼ばれるようになったようです。かの有名な「未完成」も、シューベルトの交響曲第八番ではなく、今では第七番と呼ばれるようになっています。作曲年代順に並べれば「未完成」は一八二二年の作品で、一八二五年に作曲されたとされ、「ザ・グレイト」として知られているハ長調の交響曲が七番と呼ばれ、「未完成」が八番と呼ばれるのは不自然ではあります。しかしこの四楽章を目指して二楽章までしか完成していないと考えられる「未完成交響曲」は、作曲の年から四〇年以上も行方不明となっていて、発見され、初演が行なわれ、出版されたのが一八六五年で、その時にはすでにハ長調の交響曲が第七番として通用していたため、出版にあたってはこの一八二二年作の交響曲に第八番の番号が与えられたのであって、経緯自体には何も不自然な点はありません。そしてそれ以後一世紀以上もの間「未完成」はずっと第八番だったのです。一世紀以上も通用していたポピュラーな番号を、今になって突然変えなければならない必要性があったのでしょうか。それに、現在では一八二一年には既に書き上げられていたと認められる本当の七番目の交響曲の草稿も見つかっていて、その草稿は、FR・バーネット、フェリックス・ワインガルトナー、ブライアン・ニュウボウルド等の手により演奏会用のスコアとして完成されています。これこそが本当の交響曲第七番のはずです。「未完成」を第七番とすると、スコア完成にあたってバーネット、ワインガルトナー、ニュウボウルド等の手が加わった、草稿だけが残されていた第七番はシューベルトの交響曲とは認めないと言うことになってしまいますが、それも乱暴な話ではないでしょうか。この際きちんと整理したいと言うことであるならば、私は   

 交響曲第六番ハ長調      (D番号D589)一八一七ー一八年 作曲   
 交響曲第七番ホ長/短調    (D番号D729)一八二一年 総譜草稿完成  
  交響曲第八番ロ短調「未完成」 (D番号D759)一八二二年 一・二楽章完成
  交響曲第九番ハ長調「グレイト」(D番号D944)一八二五ー二六年 作曲

の順番が最も妥当であるように思います。 

「未完成」交響曲が出てきたついでに、何故、この曲が未完成なのかと言う点に触れてみたいと思います。よく聞かされる、この二楽章だけで最早何も付け加える余地のない程の完璧な交響曲に仕上がっているからと言う説は余りにも強引で戴けません。シューベルト自身が第三楽章スケルツォを書き始めているところから、当然彼は彼の他の交響曲と同様に四楽章の交響曲を作曲するつもりであったことは明らかだからです。また、映画「未完成交響曲」のクレジット、「我が恋の終わらざるが如くこの曲も又終わらざるべし」と言うのも噴飯ものです。私はここで、昭和二三年(一九四八年)一月に出版された比較的古い書物に紹介されている興味深い説を紹介させていただきます。 

『 近衛秀麿氏はこの交響曲について、ハイドン以来今日までの殆ど全部の交響曲、室内楽、奏鳴曲が、四楽章の場合大体二ケ楽章が奇数拍子で、あとの二ケ楽章が偶数拍子である事実を前提にし、この「未完成」で第一楽章が四分の三拍子、第二楽章が八分の三拍子、そして第三楽章が四分の三拍子であるからすべて奇数拍子ばかりとなり、シューベルトはこれに気がついて行き詰ったのではないかと云ふ興味ある推察を下しているのは、一応面白いと思ふ。(「音楽」一九四七年七ー八月号) 』 (注3)  


シベリウス 劇音楽「白鳥姫」(組曲)作品54 

シベリウスは、隣国スウェーデンの小説家であり劇作家でもあったストリンドベルイに心酔し、なんとか親しい関係を築きたいと願っていました。そして、その願いは、一九〇六年に、ストリンドベルイの三度目の妻ハリエット・ボッセの推薦で、ストリンドベルイのおとぎ劇「白鳥姫」のために、シベリウスが付帯音楽を作曲することになって実現するかに見えました。しかし一九〇八年にこの芝居が舞台にかけられた頃には、ストリンドベルイは、シベリウスを彼に紹介してくれた妻ハリエットとも別かれてしまったために、結局シベリウスが望んでいたような関係は築くことができませんでした。そして作曲した音楽だけが残りました。シベリウスは「白鳥姫」のために全部で一四曲を作りましたが、後にこの中から七曲を選んで組曲としました。シベリウスの曲としては比較的知名度は低いかも知れませんが、七曲とも肩のこらない美しい曲です。鳥に関係のある曲は、第一曲目の「孔雀」と第四曲目の「駒鳥が鳴いているよ」の二曲で、「孔雀」は羽根を広げた優雅な孔雀ではなく、木の枝にとまってうるさく鳴いている孔雀で、その声がクラリネットとオーボエで描写されています。また、第四曲の駒鳥はフルートで表現されています。 


ワーグナー「ローエングリン」 

「ローエングリン」は音楽史上の巨星ワーグナーが三十代半ばの若い頃作曲した歌劇ですが、ワーグナーはこの頃から『ドイツが、(外国風の、非ドイツ的な概念)、すなわち、西欧的な民主政治を地獄へ駆逐し、幸福をもたらす唯一の絶対的な国王と自由なる民衆との古代ゲルマン的関係を再建する』ことを切望し、『民衆は、一人が支配し多数が支配しないときにのみ、自由である』(注4)と考えていたのです。このワーグナーの帝国主義的思想と、ワーグナーが好んで使った「外国風」「非ドイツ的」と言う言葉が示唆するドイツ・ナショナリズムの思想、そしてそれが導く先のアンチ・セミティズムのどれもが、後にヒットラーを勇気付けることになります。ヒットラーはワーグナーの音楽を愛し、ワーグナーの思想をナチズムのバックボーンに据えました。ワーグナーとナチズムとの関連はについては稿を改めなければなりませんが、ここでは「ローエングリン」の中で、ワーグナーが「白鳥の騎士」の伝説を借用しつつ、白鳥に、神界・魔界と人とをつなぐ役割を担わせていることに注目したいと思います。 

無実の罪を着せられた少女、エルザ・フォン・ブラバントは、「無実を晴らしてくれるのは、夢に現われた、銀色の甲冑に身を固め、手に剣を持ち、腰に金の角笛を提げた、あの騎士」と、自分が見た夢について語ります。すると、エルザが語った通りの、輝くばかりの騎士ローエングリンが白鳥に曳かれた小舟に乗って登場し、「祈りに応じて、エルザを救うためにやって来たと」告げます。そして、エルザに、自分の生まれた国、名前、種族については決して質問しないことを約束させた上で、彼女に無実の罪をきせたテルラムントと決闘しこれを倒します。エルザと白鳥の騎士は結婚することになりますが、その婚礼の席で、彼女は固く禁じられていた質問を口にしてしまいます。騎士は、「グラールの神より遣わされた、パルシファルの息子ローエングリン」であると自分の素性を明かしますが、素性の暴露は、即ち神通力の喪失を意味し、人間の近づき得ない遠い国の、モンサルヴァートの城に帰らなければならないと言うことでもありました。悲しみにくれるエルザを後に、ローエングリンは去って行かなければなりません。その彼を迎えに来たのも白鳥の小舟でした。しかしこの小舟を曳いて来た白鳥は、実は魔法をかけられ白鳥の姿に変えられていたエルザの弟ゴットフリートで、ローエングリンが白鳥の頸にかけられていた金の鎖を取り外すと、神の威光で白鳥はもとのゴットフリートの姿に戻ります。エルザとゴットフリートは相抱き再会を喜びますが、ローエングリンの乗った小舟は、虚空から舞い降りた神聖の象徴である鳩に曳かれて静かに去って行きます。 


シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」 

スワンは死ぬ前に美しい声で歌うと信じられていて、シューベルトの最後の歌曲集には「白鳥の歌」と言うタイトルが付けられています。このタイトルはシューベルト自身がつけたものではなく、彼の死後この歌曲集を出した出版社が、シューベルトの白鳥の歌と言う意味を込めて付けた名前です。従ってこの中には白鳥を対象とする歌は入っておりません。歌曲集は「鳩の使い」と言う鳥の歌でしめくくられています。 

ところで、イギリスの文豪ウイリアム・シェイクスピアは「エーヴォンの白鳥」(The Swan of Avon)とも呼ばれています。これも、白鳥は死ぬ間際に美しい声で歌うと言ういわれから生まれたタイトルです。シェイクスピアは、エーボン川のほとりの町スタッフォード(Statford)に生まれ、ロンドンに居た期間を除く生涯のすべてをそこで過ごしました。本人は劇作家としてよりも、詩人として知られたい、名を残したいと願っていたようで、自ら(The Bard of Avon)を名乗りそれを励みにしていました。Bard とは古い英語の言葉で詩人を意味します。シェイクスピアは多くのソネットを残しましたが、中でも晩年の作品は特に美しいもので、それらをシェイクスピアの白鳥の歌と感じた人達が、Bard を Swan に置き換え The Swan of Avon と呼ぶようになり、いつしかそれがシェイクスピアのタイトルとして定着したのだと言うことです。 

シューベルトにはシェイクスピアの詩に曲を付けた歌曲もあります。「聴け聴けひばり」がそれで、ウィーンのカフェで友人が読んでいた本を何気なく開いたところ、それがシェイクスピアで、「シンベリン」の中にこの詩を見つけると急に目を輝かせ、テーブルの上のメニュー・カードの裏に五線を引いて、そこにさらさらと曲を書いたと言う逸話が残っています。(注5)しかし、同じ資料には「シルヴィア姫とは誰ぞ」も「ヴェローナの二紳士」を題材に、同じ時にメニューを再度裏返してそこに書き記したとも書いてあり(注6)、こうなると話は少々出来過ぎの感がいなめません。だいたい、メニューの裏に「聴け聴けひばり」を書いて、更にそれを裏返せばそれはメニューの表で、そこには料金表があったはずではありませんか。また、この時書かれたのは「聴け聴けひばり」ではなくてバッカスの酒興の歌であったと言う説もあります。(注7)要するに、シューベルトはそれほど自然に、すらすらと、楽想を譜面に移し得た天才であったと言うことなのでしょう。









(注1) 掛下栄一郎訳、CBS/Sony 28DC5108 添付リーフレット(藁科雅美著)
(注2) (読売新聞の記事による)CBS/Sony 28DC5108 添付リーフレット(藁科雅美著)
(注3) 属 啓成著「シューベルトの生涯と芸術」千代田書房 昭和二三年一月三一日発行)原文のまま(
(注4) トーマス・マン「ワーグナーと現代(非政治的人間の考察)」みすず書房
(注5、 6)クラシック音楽鑑賞事典 (シューベルト)講談社学術文庫
(注7) 属 啓成著「シューベルトの生涯と芸術」千代田書房 

0 件のコメント: